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With HANDSOMUSE vol. 1

休んでいた
ジュエリーをもう一度
始めたのはなぜだろう

19.09.20

松本 千登世Chitose Matsumoto

1964年生まれ。美容エディター、ライター。
航空会社の客室乗務員、広告代理店勤務を経て、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に勤務。
その後、エディター&ライター、フリーランスに。美容エッセイに定評があり、数多くの女性誌で連載中。『もう一度大人磨き 綺麗を開く毎日のレッスン76』(講談社刊)ほか、著書多数。

休んでいたジュエリーを
もう一度始めたのはなぜだろう?

どうして、私は20年近く休んでいたジュエリーを、もう一度「始めたい」と思ったのだろう?

 

そして、どうして「今」だったのだろう?

 

「最近になって、ダイヤモンドのピアスとリングを手に入れたんです」と何気なく呟いたところ、「決め手は何だったんですか?」と問われ、答えに窮しました。
決め手と言えるかどうかはわからないけれど、購入を決断したのは、目にしたとき、手に取ったとき、
ぞわぞわっとするような興奮が全身を駆け巡ったからでした。それはもう、「本能」とか「細胞」とか、
そういう言葉でしか説明がつかないような不思議な感覚。
もの自体のシャープでいて繊細な存在感に惚れ込んだことも、私の顔や手、肌が映えると感じたことももちろん、確か。ただそれはあとからつじつまを合わせただけであって、理屈を超えたところに「核心」がある気がしていました。
だからこそ、まっすぐな質問に、余計に戸惑ったのだと思うのです。
改めて考えてみると、このジュエリーとともに過ごし始めたのをきっかけに、私自身に心地いい変化が起こっていたことに気がつきました。
まわりにわかるほどドラマティックなものではないのだけれど、ファッションがもっと楽しく、ヘアやメイクがもっと楽しくなった。新しいものに出会いたくなったり、ずっと持っているものを新鮮に感じたり。心のどこかに潜んでいた停滞感みたいなものが解けて、自分自身をわくわくさせる「何か」を積極的に見つけたいと思うようになった。決して大げさでなく、毎日が、人生が、変わったのです。
これって、いったい……?

生まれ持っての「顔」と
自分の意志で創る「顔」と。

ふと思い出しました。以前、「時計は女の顔」というテーマの取材でお目にかかった男性タレントが、こんなふうに話してくれたこと……。
世間から見たイメージとは裏腹に「愛妻家」である彼が、20代、30代、40代と節目、節目で妻に「時計」をプレゼントし続けていること。妻が20代のときと40代のときは時計を選びやすかったけれど、30代のときは、何を選んだらいいのか思いあぐねたこと。その理由は、20代は「背伸び」をすればよかったから、40代は「彼女らしさ」がクリアに見えたから。その間にある30代は、彼女がまだ、何者かわからなかったから……。つまり、30代の妻は、本当の「顔」がまだ固まっていなかったから、と言って。
当時は、妻思いのなんて素敵な男性なんだろう! という感動がすべてだったけれど、今一度この話を振り返ると、もうひとつの真実が透けて見える気がしました。
女性には、生まれ持っての「顔」と、自分の意志で創る「顔」があるのじゃないか。若さが減るにしたがって、それまでの顔を脱ぎ捨て、経験や感動が増えるにしたがって、本物の大人の顔を手に入れるのじゃないか。迷ったり悩んだり、欲張ったり諦めたり、こけたり傷ついたりしながら、前者から後者へとシフトする。これは自分らしい? 自分らしくない? と問いかけながら、足したり引いたりして、顔=自分らしさを創っていく。ようやくこれが自分の顔と認められたとき、ふと肩の力が抜けて、ほんの少し、少しだけ自信と余裕が生まれる……。そんな気がしたのです。思い通りじゃなかったかもしれない、もっと違う自分もあったかもしれない、でも、自分の今も、結構いいじゃない? と。

ジュエリーは、ともに過ごすほどにいい顔になっていく…。

母や彼にもらう幸せの象徴としてのものでなく、誰かに自分をこう見せたいと演出するためのものでもなく。身の丈に合っているとか、自分を成長させるとか、そういう基準で選ぶものでもなく。自分自身を誇りに思えたときに、その気持ちを託して、今もこれからも自分を輝かせるジュエリー。もっとみずみずしくて、もっと軽やかなジュエリー……。
ダイヤモンドのピアスとリングに私の本能や細胞が興奮したのは、これが自分の顔と思えたから。今、もう一度ジュエリーを始めたいと思ったのは、きっと、そのためだと確信しました。
そして、もうひとつ。ジュエリーは、つけるほどに自分自身が乗り移って、時間が経つほどに、「いい顔」に育っていくということ。ファッションとヘアとメイクと溶け合いながら、自分の顔とともに進化していくということ。すると、不思議と、出会ったときとはまた違う興奮に包まれる。ジュエリーにときめく=自分にときめく、そんなシンプルな真実に気づかされたのです。
もし、私のように、ジュエリーを休んでいる人がいたら、今、一歩を踏み出して、触れてみてほしいのです。本能が細胞が興奮する「唯一無二」に出会えたとき、それはきっと、自分の顔を好きと言えるとき。自分の人生をなかなかいいじゃない? と思えるとき。新しい顔は、そこから始まるのかもしれません。

 

Chitose Matsumoto’s Column