With HANDSOMUSE vol. 15
経験を積んだ今だからわかる
内面がにじみ出る美しさ
― メイクアップアーティスト 松井里加さん 前編
松井里加Rika Matsui
奈良県生まれ。文化服装学院卒業後、「SASHU」ヘアサロンを経てメイクアップアーティストの道へ。2000年からNYで活動ののち、2006年からは東京を拠点に、ファッション、ビューティーの雑誌、広告を中心に活躍。確かなテクニックと柔らかなキャラクターで、編集者はもとよりセレブリティからの信頼も厚い。
Instagram @rikamatsui26
今回ご登場いただいたHAMDSOMUSEは、メイクアップアーティストの松井里加さん。国内外で培った技術と感性でつくり上げるヴィジュアルやファッションショーでのクリエイションはもとより、2022年から立ち上げた自身のブランド「SELALY」のスキンケアも大好評。大人の女性に自信を与える松井里加さんの美の定義とは? 前編ではメイクアップアーティストとしてのキャリアと、ご自身がプライベートで実践されているルーティーンも伺いました。
私はとにかく洋服がすごく好きなんです。高校生のときにはファッションジャーナリストの大内順子さんがナビゲートされていたテレビ番組「ファッション通信」を欠かさず観ていました。そこで報じられていたパリコレやミラコレといった海外のショーの映像に、ものすごい衝撃を受けて。とにかく「かっこいい!!」と大感動し、録画して何度も繰り返し観るほど夢中になったんです。
当然ながら、進路は迷わず文化服装学院。ショーと同じくらい雑誌も大好きだったこともあり、日中はスタイリスト科でファッションの勉強し、終わってから夜間は当時トレンドを牽引していた雑誌「anan」での活躍、コスメ「ケサラン・パサラン」のプロデュースなど、業界の先駆者である渡辺サブロオさん主宰のメイクスクールにも通うという勉強勉強の日々。というのに、実はあれほど好きな洋服を縫うことは不得手で。宿題には本当に苦労しました。もう時効ですが……母、祖母にまで助っ人に入ってもらい、松井家総動員でこなしてましたね(笑)。
先生からもスタイリストの道は洋服が縫えないと難しいと諭され、メイクの道に進むことにしたんです。まず最初は前出の渡辺サブロオさんのサロン「SASHU」へ。5年半、さまざまな勉強をさせてもらいました。けれどサロン業務だけでは憧れのファッションショーの仕事に携わることはできないと思い、2000年、25歳のときにNYへ行く決心をしたのです。
NYを選んだのは、世界のファッション誌の撮影がたくさん行われていたから。ほかにも先に道筋をつけてくださっていた先輩や、音楽を志す友人の存在も心強かったですね。アシスタントとして4年修業し、独立して2年、数々の失敗を重ねながらNYで6年間たくさんのことを学びました。
その日々のなかで念願のパリコレへの参加が大きな転機に。ファッションショーは15分ほどのショーで50~70ルックくらいが登場する短期決戦。ですのでメイクは、バックステージでアーティストを筆頭に数十人がチームを組んで行います。私が参加したのは、当時トップといわれたメイクアップアーティストが率いるチームで、それはそれはものすごい経験。人生で最も余裕がなく、切羽詰まった2週間でした。
シーズンにいくつもショーがあったので、準備と本番とテストを繰り返す寝る間もない日々。100個近くのメイクバッグを常に管理し、ショーが終わって翌日のショーに向けた毎晩毎晩のテスト、デザイナーとの打ち合わせでメイクが決まるのはギリギリで、そこから必要な小道具を買いに走るという……思い出しても壮絶でした。今はショーもリアルな表現が多いですが、顔にペイントしたり、羽根をつけたりと華やかな演出が求められていた時代でしたし、コムデ ギャルソンやヨウジ ヤマモトなど世界で活躍する日本のデザイナーの仕事も間近で見ることができ、モチベーションも上がりましたね。大変でしたが、あの経験ができたことは本当にラッキーだったと思っています。
私はアシスタントを長く続ける道は選ばず、私のメイクを極めよう、自分らしいメイクを、という気持ちが強くなっていきました。日本のマーケットへ馴染むまでに少し時間は要しましたが、本格的にスタートしてからは雑誌を筆頭に、広告などいろいろな仕事をさせてもらっています。大手のコスメブランドのキャンペーンヴィジュアルが、店頭に大きく掲載されたときには感慨深かったですね。初めて開発にも関われた仕事だったので嬉しかったです。
ちょうどミラノコレクションでブランドアンバサダーの女優の方との仕事から帰国したところですが、映画祭への出席など表舞台に立つ女優の方のメイクを担当することもあります。グローバルな世界に誇り高く出ていく日本人のサポートができることにも生きがいを感じます。
外国人で刺激を受けたのは、女優のアマンダ・セイブリット。来日時にメイクを担当したのですが、セレブでありながら傲ることなく「あなたの好きにしていいから」と任せてくれて。農園を購入して自然のなかで暮らし、仕事があったらハリウッドへ行くというライフスタイルも魅力的ですし、ありのままを受け入れている人ほど強くて美しいと感化されました。自分に嘘をつかない人ってすごく素敵だなと。本物の美しさは生き方によると、その強さに気づかせてもらいました。
私が大切にしていることは、その人を生かす、その人の人間性を出すメイクであること。若い頃、尊敬している方から「君が頑張ってメイクしているのが写真から見えるね」と指摘されたことも意識の変化につながりました。周囲からも印象的といっていただけるのですが、特にこだわっているのはベースメイク。その人の内面が透けて見えるような、素肌そのもののようなトランスペアレンシーな表現を心がけています。
松井里加さんが立ち上げたコスメブランド「SELALY」のイメージヴィジュアルより。透き通るような肌の美しさが際立つ。
モデルの肌のコンディションが良くないときは、ベースメイクに時間をかけることで自信を持ってもらいます。肌がうまくいくと誰しもご機嫌になっていって、顔つきが変わるんですよ。その輝きを逃さずに内側の芯をしっかり出していきたい。現場は生ものですからコミュニケーションも大事ですよね。リスペクトを持って、私も心を開いてモデルの話を聞くようにしています。普段の生活でも聞くことって大事です。
一般の方々には見えない部分だと思いますが、全体の女性像に向かって表現するファッションと、顔にフォーカスして提案するビューティの仕事は実は少しアプローチが違います。両方のフィールドで仕事ができているアーティストはそう多くはありませんが、私もそこを目指しています。その人の美しさを引き出すと同時に、ヴィジュアル撮影であればスタッフと目指す女性像も実現していく。その両方を満たすメイクをすることは永遠のテーマですね。
プライベートでは、旬の食材を自分で料理するようにしています。それからコロナ禍から週1回1時間半ほど始めた新習慣がウォーキング。他人にメイクをするときは不自然な体勢にならざるをえないという職業柄、体の傾きが気になっていました。ウォーキングといっても街を歩くのではなく、モデルのレッスンのようなエクササイズです。姿勢改善、基礎の脚づくりから細かく教わりますが、サーっとヒールで歩けるようになるんです。胸張って歩くことで腹筋と背筋も強くなるんですよ。ヒップアップするし、脚は細くなるし、いいこと尽くめです。ファッションショーが大好きなので、ひとりランウェイごっこも(笑)。街なかでも実践できるという点もおすすめです。
体を鍛えるなら顔も、と表情筋トレーニングもやってます。ある現場で、メイクしている時もカメラ前でも、ずっと口角が上がりっぱなしでハッピーオーラ満載の50代のモデルの方がいらしたんです。理由を伺ったら、表情筋トレーニングの先生もされていると聞き納得。それで直接習うことにしました。今、美容医療にはあまり興味がないので、こういうアナログなことを日々積み重ねています。
コロナ前の旅のなかでも、お気に入りの街、南仏・ニース。写真は松井さんが撮影した一枚。
コスメブランドのアドバイザーの仕事では、提案するときに全体のイメージを伝えるムードボードをつくります。その着想源としてコロナ前は南仏、ロンドン、NYなど、頻繁に海外に行っていたのがすごく良くて。素晴らしい刺激なのでまた復活させようと考えています。やはり直接体感することが大切。ヴァーチャルとフィジカルでは受ける印象が違います。まず光、そして庭園の花の繊細なグラデーション、シックな街の色合い……。南仏に多くのアーティストが移り住んだ意味もわかります。
イタリアは本当に人がユニークですよね、彼らは自分の国にすごく自信を持っていて、本当にNo.1だと思っているんですよ。海外はありのままを受け入れるダイバーシティが浸透していて、モデルもプラスサイズやハンディキャップのある方を起用するなど、皆が心がけています。日本は誇らしいほど美しいのに遠慮がち。よくいえば控えめですけれど。海外では肌が乾燥してカチカチなのに、あまり化粧水は使わないんですよ。皮にはクリームと思っているみたいで(笑)。日本人は基本の肌質もいいのでもっと自信を持ってほしいです。
以前はもっと美を表層的にとらえる部分もありましたが、この経験を積んだ今だからこそ、その人の内面性がにじみ出てきている人こそ美しいと思えます。その美意識を大事にしていることをいろんな人と共有したい。短絡的な方法に走る人もいますが、大人の美しさにはそれよりも大切なことがあると伝えていきたいです。