With HANDSOMUSE vol. 8
自分らしさを極めた先に見えたもの
緒方 環Tamaki Ogata
イラストレーター。
1968年生まれ、多摩美術大学テキスタイルデザイン科卒業後、渡仏。
墨の濃淡で人物、植物、ファッション等を描く墨画(SUMIGA)を創出。
国内外のアパレル・コスメブランドへのイラストレーション提供や
書籍の装画、レストランの壁画など幅広い制作活動を展開。
2011年よりテーブルウェア「hakuji」のデザイン&プロデュースも行う。
SUMIGAを生み出して20年。まだまだ満足いく作品は数えるほどです。新しい作品を描くときには今でも緊張しますし、一枚を描き上げるまでには納得いくまで何枚も何枚も、多いときは100枚近く描くことも。ただそれがここ数年で少しだけ変わってきたように思います。肩の力が抜けたというか、良い意味での妥協点を見つけられるようになったのかもしれません。さらにポジティブに考えれば、少し腕が上がったかな?と自分を褒めたい気分と同時に、周囲をぐるりと見渡すと、暮らす部屋もいい感じに脱力している気がします。
余計なものが一切なく、ストイックの塊のような部屋にいた私はSUMIGAに辿り着き、日々鍛錬し、まだ極めるところまではいきませんが、確かに自分らしさを得たのだなと感じています。一生懸命オリジナルの画風を模索していた頃の私は、今となっては「ストイックにもほどがある」と恥ずかしくなるのですが、あの尖りがあってこその今なんだなと思うと、前回のエピソードでお話ししたダイニングテーブルと同じくらいあの頃の私が愛おしく感じるのです。
こんなふうに思い返すと、極端なこだわりとストイックさがなければ、人物や植物を削ぎ落として墨の濃淡のみで描くSUMIGAの画風に辿り着くこともなかったかもしれません。黒の躍動感と余白の白の美しさ。これぞまさに理想の美と私は思っています。ミニマルな美意識を子供の頃から持っていたとは思いませんが、いわゆる女の子が好きなリボンやフリル、ピンク色などが嫌いで、グレーやネイビーのニットをデパートの男の子売り場で買ってもらっていたのです。その頃から華美な装飾は好んでいませんでした。
実は「イラストレーターになりたい」とこの仕事を目指したのではなく、スタートはなりゆきでした。染色工房に弟子入りした同級生たちが「最低10年」と師匠に言われたという話にとても納得がいったので、私も始めたからには10年は頑張ろう、と。ですが10年などあっという間で、いろいろな仕事を受けるうちに、気がつけば依頼通りに臨機応変になんでも描くようになっており、「このままではダメだ。私にしかできないというスタイルを持たなくては」と心底思うと同時に、「もっとこの仕事を続けたい」というように仕事に対する思いも変わっていました。
葛藤を繰り返すなかで、最も身近な、書の指導者である母の書作品を見て「これだ!」と思いました。墨と余白の美。探し求める独自のスタイル、誰にも真似できない画風は、実はとても身近なところにあり、意外に簡単に見つけることができたのです。けれど和紙に描くのでは当たり前すぎるし個性もない。墨と相性が良く、自分が頭に描いた表現ができる「紙」に出合うまでがいちばんの試行錯誤でした。あれこれ試しては、描き、を何十種類試して辿り着いたのが今の紙です。私の表現方法であるSUMIGAはこの探し求めた紙に墨で直接描くことで完成する手法。イラストといえども、デジタルでの作業が主流の現在でも、私は人の手による表現にこだわっています。
長い間、自分自身コンプレックスの塊でしたが、50歳を迎えてから随分楽になったように思います。人生を楽しむという余裕が出てきたのでしょうか。ただ絵を描くことに関しては、まだまだ修行という気持ちもあり、緊張感を持って描くということも大切にしつつ「楽しんで描く」という風になれたらと思っています。
コロナという思いもよらぬ事態によって、皆が自身のこれからの生き方について考える機会が訪れました。ただこんな事態になっていなくとも、私は自身の年齢や家族のことなどを考え、自然と未来というものに向き合っていたと思います。今は未来というものをなかなか前向きに考えにくい状況ですが、あえて言うならば「もっと自由に」です。私が私らしくいられる自由な環境、生き方。大切な人と大切にしたい感情だけを持って、何にもとらわれることなく、ただ絵を描くことだけは続けていくつもりです。なぜならば、これだけが唯一自分が自分らしくいられることだから。
自由に絵を描き続ける、それが私の未来像です。