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YOUR HANDSOMUSE STORY


ベルシオラは、半歩先を歩もうとする女性とともにあることを大切にしています。

そのため、「自分の人生を半歩先に進めた転機とそこに至るまでの過程や想い、
または半歩先の夢に向かっての決意や目標」を公募し、たくさんのHANDSOMUSEなみなさまから素敵なストーリーをお寄せ頂きました。
頂いたストーリーはピックアップの上、順次掲載させて頂いています。

ご応募下さったみなさま、ありがとうございました。
公募は既に締め切っていますが、大変多くの反響を頂きましたので、今後も企画を検討いたします。

Story06

約6年間のドイツ生活を終えて、2020年の春帰国した。新型コロナウイルスの存在を知った1月下旬。帰国までのカウントダウンは荷物の片付け、そして心の整理をしながら別れの連続だった。

本当にいろいろな事があった。何より私たちの宝物は親しい友人、娘の先生やご近所さん、たくさん大事な人ができたことだ。

主人の仕事で住むことになったドイツ。
不安と期待で始まった海外生活。最初に待っていたのは大雪。そして、言葉の壁。私はドイツ語がほとんど話せなかった。しかし、娘は毎日外に出たいと言うし、買い物もしなければならないし、時間があればドイツ語の勉強をして、メモを見ながら話していた。最初は変なアジア人家族が来たと思われていたのか、会う人会う人無愛想だった。娘はさすが子供。だんだん言われていることがわかるようになり、ドイツ人のお友達もできた。
少しずつ日々の生活が落ち着き、気づけば3年が過ぎようとしていた。
その頃、娘が不吉な事を言うようになった。
お母さんが死ぬ気がすると…

最初は半信半疑で聞いていたが、娘の勘はけっこう当たる。その時、私は体の違和感を感じていた。3ヶ月前に検診を受けていたにもかかわらず、不安になり、再度検査をした。私は友人のすすめで、年に一度必ず検査を受けていた。なのに、まさかの結果。その日から私は元気な奥さんから病人になった。主人と娘をおいて死ぬわけにはいかないと、治療でできることは全てやろうと決めた。日本に帰ることも考えたが、医師からすぐに治療をスタートしないといけないと言われた。
ドイツで治療をするしかないと覚悟を決めた。

病人になった私は自分が自分ではなくなっていく日々。治療により激変していく容姿。体の痛み。死への恐怖。そんな中だから明るい光を探した。

私には素晴らしい友人たちがいる。病気がわかったとき、もしもの時を考え、信頼できる日本人の友人たちに病気のことを告げた。彼女たちはその後私に起こる様々なことに対応してくれた。
一人で考えてだめでも皆いるんだから、何かいいアイディアがあるといつも励ましてくれた。どんな薬より温かい言葉に元気をもらった。私が料理ができない時には、友人たちがいろいろ作って運んでくれた。その味は一生忘れない。

そして、ドイツ人の親友にも助けてもらった。彼女から言われた一言が私の気持ちを軽くしてくれ、前を向いて生きようと思わせてくれた。
“車でも人間でも同じ。悪いところは治す。治ったら、またいつも通り生活する。また悪くなったら治す。その繰り返し。”
優しい笑顔と変わらない私への思い。彼女はヨガの講師をしていて、私の痛みが軽くなるようにとマンツーマンでレッスンを何度もしてくれた。心と体がほぐれ、私はいつしか心のもやもやが消えていたのに気づいた。治療があまりにきつい時、なぜ私がこんな病気になったのだろうかと病気を憎むことしかできなかったが、それが全て感謝に変わった。毎日、ありがとうと感謝することばかりになっていた。
実家の両親や兄にも病名と治療について伝えた。どうしても母に来てもらわなければならない時期があり、家族みんなが頑張ってくれた。当たり前と思っていた日常が父も兄も変わり、私の為に母がサポートしに来ることに協力してくれた。改めて、家族の有り難さ、繋がりを感じることができた。
長い戦いと思っていたが、大きな治療を終え、少し落ち着いた頃、帰国することが決まった。コロナ禍で思うようにお別れのパーティーなどできない状況だったが、感謝を伝えることはできた。

私はたくさんのドイツ人、そして、ドイツの大地に助けてもらった。
年齢を重ねても真っ赤なマニキュアをしたり、赤やピンク、青や黄色など鮮やかな色の服を着る女性。太陽が大好きで、シミなんか気にしない人たち。ビールが大好き。大きな口を開けて、ワッハッハ〜って声を出して笑う。
私が不安を感じてるとき、ドイツ人の医師は大したことないから大丈夫っていつも言ってくれた。私があまり心配しすぎずに治療ができたのは医師や看護師さんたちのおかげだ。
明日がどんな1日になるかしか考えない、明後日どうなるかなんて考えても仕方ないでしょうってお世話になった薬剤師さんが言ってくれた。私たち女性はいい香りでハッピーになるもの。今幸せな気持ちでいることが一番。そう言って、いい香りの香水をすすめてくれた。私は自分が女性だったことに改めて気づいた。ゆっくり、その香りをかいで、いい香りって声に出す。生きているって思えた。大好きだったコーヒーもまた飲むようになった。好きだったことを全て治療で忘れていた。お花屋さんも大好きだったことを思い出し、また行き始めた。季節の花を飾り、毎日部屋の掃除をした。きれいなお花、可愛いねっていう娘の笑顔。我が家に明るさが戻ってきた。
強く明るいドイツの人たちの笑顔。目を閉じると思い出す。あの青空、冷たい風、鳥のさえずり。リスたちのかけっこ。今もまだ私の中にしっかり残っているドイツ。

日本に帰って、新しい生活がスタートした。毎朝目が覚めたことに感謝している。
私のそばで支えてくれた娘と主人に心から感謝している。かけがえのないものは日常だったことがわかった。
今の自分を愛して日々過ごそう。これからも好きなことを一つでも見つけて、小さな幸せを大切にする。そんな自分でいたい。

ゆっくりゆっくり歩いていこう。

日本から応援してくれた親友、そして、ドイツでお手伝いをしてくれた方たち。私が今生きているのは皆さんのおかげです。 今の私の体はたくさんの人が一生懸命治してくれた努力の結晶。だから、これからも自分を大事にして、毎日を楽しみたい。
Vielen Dank.たくさんの感謝。
心からありがとう。


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